観音山
(標高698m)

「観音山」という山は全国に多数あるようだ。
我が地元・小鹿野町にも、「観音山」と地図に記された山がある。
それは地元では「嶽山(たけやま)」とも呼ばれ親しまれている。


標高は僅か698mだが、山頂は岩がちに盛り上がっていて目立つ。
登ってみても、岩場が多く、絶景ポイントもありと見どころは多い。

学校の遠足ではなく、自らの意思で、しかも単独で山に分け入ったのはこの山が最初だった。
地図も持たず、地理も知らずに登山道を一歩一歩進みながら、行く先にあるものを確かめた山でもある。
アプローチが良く、出勤前に山頂を踏める最短コースもあるため、今まで幾度登ったか分からない位だ。

道のひとつ、沢のひとつも歩かなかったところはない。
登山道でないところも登ったりした。
春夏秋冬登ったことがあり、朝も夕方も登ったことがある。
(ただ、近くに大きな霊場があるので、夜はかなり怖い気がする)

先日も新しいザックと靴を試しに、早朝登った。
一言で言えば、私にとっては「揺籃」のような山だ。

東奥の院から眺めた観音山
(2005年元日)


山容
観音山は北から望むと山容がわかりやすい。

ところどころ岩肌がある北面は目に付きやすく、最近は合角(かっかく)ダムの橋の上から一望できる。

夏に冬に、化粧を変えて目を楽しませてくれる。

湖上からの定点観測
(2004年11月20日)

湖上からの定点観測
(
2005年1月16日)
合角ダム
落葉松(からまつ)トンネル〜山頂を結ぶ落葉松峠コースは、稜線を歩くため、比較的展望が良い。

下に並べた写真は、ちょうど上の写真と反対のポジションから撮った形になる。

下から見上げて良し、上から眺めて良しのいい山だ。

まだ合角ダムができて間もない頃の眺め(1999年1月4日)

雨上がりの早朝、湖上は霧がのぼっていた
(2006年6月19日)
雑木の間から見える湖は、平成11年に吉田川を堰き止めて完成した多目的ダムである。

その湖底には、合角集落が沈んでいる。

平成12年2月に発生した父不見山の火事では、防災ヘリや自衛隊のヘリが湖上でホバリングし、消火用水を汲んだりしたこともある。
観音院
山門の様子。札所随一の仁王像が有名らしい
2005年1月1日 本堂の様子
岩殿沢方面からの登り口には、秩父札所34ヶ所巡りの31番目・鷲窟山観音院(しゅうくつざんかんのんいん)という有名な霊場がある。

高さ60mの滝、平安時代に修験者が岩壁に爪で彫ったとされる鷲窟磨崖仏、いくつもの洞窟や仏像など、観光だけでも素晴らしい場所だ。

「胎内くぐり」と呼ばれる洞窟は、子供の頃に遊んだ記憶も残っている。

観音山には、この霊場の中にも入山ルートがあるし、霊場の手前の駐車場から牛首峠に入山するルートもある。

このような岩室・仏像などがあちこち無数にある。
あまりに多いので、いくつあるのか数えたことは無い


「胎内くぐり」
見た目ほどピンチではありません

柳平
倉尾地区の日尾から登るルートのひとつとして、柳平の断崖から登る道がある。

断崖といっても階段が整備され、またダム工事のために付近に橋がかかっているので特に危険な感じはしない。

それでも、断崖の頂上からの高さはそうとうなものだ。

途中で日尾城址からのルートと合流するのだが、この登山口は比較的マイナーなようだ。
 
断崖の途中にやや広い岩棚があり、柳平の神々が祀られている

柳平からの急登が終わるところにある休憩所
牛首峠

大岩の切り通し
牛首峠は、岩殿沢と倉尾地区を結ぶ峠として機能してきた。

昔はこの険しい峠を、花嫁が馬に乗って通ったとも聞く。

この峠の頂点には、大きな岩の切り通しがある。

峠を拓くため、あるいは日尾城防衛のために切られたといわれていたが、実は自然にできた断層らしい。

昔はこの岩をよじ登って日尾城址に上ったそうだが、今は階段が整備されている。
日尾城址
牛首峠から登っていくと、日尾城址への分岐がある。

かつてはここに日尾城があったそうだが、現在は痕跡もはっきりしない台地になっている。



日尾城は鉢形城主北条氏邦の筆頭家老・諏訪部遠江守定勝の居城だった。

甲斐の武田勢に対する防衛の拠点だったらしい。

1590年の鉢形城落城と運命を共にしたとも云われる。

今は杉林の中で、わずかに石積みと碑があるだけである。

つわものどもが夢の跡
(2003年10月15日)
登山道

大晦日に雪が降り、元日は雪の道を登った
(2005年1月1日)


登山道は、日尾方面からは5ヵ所・落葉松峠からが1ヵ所・岩殿沢から2ヶ所あり、あまり使われてない道ならまだいくつかある(水子地蔵寺からなど)

いずれも難易度は易しく、色々なアプローチが楽しめる。

それこそ雪の日でも、未明からの登りでも可能だ。

国体の山岳レースの会場にもなったくらいなので、やったことはないが走って通り抜けることもできるだろう。

道を外れ、藪を掻き分けて登ってみた時には、登山地図に載っていない道を見つけて驚いた。

山頂の西斜面は地形が険しく、ザイルが必要なくらいの場所もある
登山道にはなっていないが人知れぬ道もある。

基本的に岩がちの峻険な山なので、低山といって油断すべきではないだろう。

実際、先日も油断しすぎて足を踏み外し、木々に引っかかってかろうじて助かった人もいる(本人談)
山頂
初めて山頂を「発見」した時の喜びは、今も忘れない。

もちろん、道標もあり、整備された山頂なのだが、その時は山頂がどこかも知らず、地図もなく山中を彷徨うようにして、半ば偶然に辿り着いた故の喜びということか。

(その後、蕎麦粒山へ地図を持たずに臨み、散々な目にあって以来、地図を持たずに登山するなどといった愚行はしなくなったが・・・)

山頂は東西に細長く、南側は樹木が生い茂り、北側は切り立った絶壁になっていて眺めが良い。

両神山や毘沙門山も良く見える。

やたらと余計な道具を背負い込んで登ってみた時もあった
(1999年6月8日)


切り立った岩場からの眺めが良い
(2003年10月1日)

四季折々の山頂
(2003年10月1日)


冬枯れの日
(2004年1月1日)


まだ誰も足を踏み入れていない新雪の山頂
(2005年1月1日)

時々、台風などで山頂標識が吹き飛ばされ、新しいものに変わっていたりする
(1999年1月4日)

なぜか、この山頂に来たとき誰かがいたことも、後から誰かが登ってきたことも今まで一度もない。

皆あまりここには長居しないのか?

ともかく山頂は山の華(?)であるだけに、撮り貯めた写真の枚数も数多く、四季・歳月の変化も見てとれる。
奥の院

山頂標識までは登山ガイドにもあるのだが、その先の岩場へ少し歩を進めるとあるこの祠のことは、載っていないようだ。

「奥の院」と云って良いのかどうか知らないが、この山の神様が祭られているのだろう。

自然の作り上げた大岩の軒下に、上手く祠が納められている。

ふもとの観音院は平安時代の遺跡が残っているが、ここもいにしえの修験者の類が訪れたのだろうか・・・
景色

雪に覆われた倉尾の集落

ある時は、霧霞に覆われていた
低山なので、落葉松峠コースの数ヶ所や西奥の院を除き、展望はない。

ところが山頂だけは圧倒的に展望が良い。

周辺の山々の地形が実に良く見て取れる。

日尾城がある位置も、牛首峠を管制しやすいところにあるのが分かる。

きっと日尾城の侍も、この山頂に登って周囲の情勢を警戒したりしたのではないだろうか。

それも、今となってはそれこそ「夢の跡」のような話だと思いながら、景色を眺めたり湯茶を沸かしたりするばかりだ。

今は、家族連れのハイカーがたまに訪れるくらいの、のどかな時間が山頂には流れている。

何気ない木漏れ日が、美しく思える時もある